埼玉から新潟に来て21歳で結婚。22歳、23歳で子供を出産し二児のママになり、子育てに追われる日々。そんな私が、28歳から学童野球チームのコーチに。夢が叶った瞬間でもあり、困難と向き合うスタートでもありました。
テキスト : 頓所理加 →プロフィール
ソフトボール経験しかない私が、やっとたどり着くことが出来た野球。憧れていた野球に辿り着くことが出来て、ノックをするのも、キャッチボールの相手になるのも、本当に楽しくて。こんなに週末が待ち遠しいかというくらい、土日は朝から夕方までグランドで練習に明け暮れました。
当時は、女性がコーチとしてグランドに立つことを、あまりよく思わない人がいて「なんで女がグランドでユニフォームなんか着てるんだ!」と言われたこともありました。「いつまで続くんだか」などと言われて、悔しくて泣いたことも。まさか、野球をするというだけで、大人になってまでこんなに難しいとは思っていなかったので、当時のショックは正直大きかったです。それでもいままで続けてこれたのにも理由があります。それは、応援してくれる人、支えてくれる人の存在です。野球をすることでマイナスに感じる事よりも、プラスに感じられる事の方が断然大きかったから、ここまで続けてこれているのだと思います。
また、思いがけないコーチ就任から「いつ休んでいるのか」と自分でもわからないくらい家事・育児・仕事・野球に追われていました。でも不思議なことに、野球を初めてからの方が多くの幸せに気づくようになりました。「お母さんでありながら、野球をさせてもらえる」という事が後押しとなり、どんなに忙しくても家事が苦ではなくなり、周りの家族への感謝の気持ちも以前より大きくなりました。これは、自分自身の中でも大きな驚きでした。
今までは、お嫁さんとして、母として、頑張ることが一番大切だと思っていて、それが「何かを我慢している」とは自分自身全く気づいていなかったのだと思います。野球が出来るようになったことで「我慢をしていない」「夢を叶えている」という気持ちから、自分自身の人生を歩ませてもらえているという充実感を感じられる事に繋がり、家族とのバランスも良くなりました。
野球のコーチとなり、女性としては珍しいことも重なり、今では取材を受けたりすることもあります。そんな時には「女の子にも夢を諦めないで」「ママになっても夢を追いかけて」と伝えさせてもらうことがあります。これは、一番の実体験から来ていて、我慢ばかりしていた時代の自分よりも、夢に向かって生きている自分の方が、自分らしくいられたから。明るく前向きに人生を歩めるようになったからです。
とはいえ、普通では田舎で同居をしていてお嫁さんが好きな事をするなんて、本来は難しいのも現実で。そんな中でも、私はこうして夢を追いかけ続けています。これは、家族や周りの仲間たちのおかげで、今では新潟が私の故郷のような気がしています。
夢を追いかける事で、自分自身の変化にも気づくことになり。野球が私に「人生の歩み方」を教えてくれた事には、今でも感謝です。