昔メジャーに、ジム・アボットというピッチャーがいました。生まれつき右手首より先がなかったにも関わらず、様々な困難を乗り越えてプロ野球選手になった彼。テレビで観る彼は、左手で投球を終えると、その手に急いでグローブをはめて捕球体制をとっていました。片方の手が不自由な状態でメジャーで投球をする姿は本当に衝撃で、「自分の何かを言い訳になんて出来ないな」と思ったことも覚えています。
その時と同じ衝撃を私は目の前で受けました。それが、新潟シリアスさんとの出会いです。新潟県に「身体障害者野球チームがある」というお話を耳にして、すぐに当時の代表の五十嵐さんに連絡をとりました。女子野球普及を続けていた私としては、女子野球と同じように普及・発展が難しそうな印象を受け、色々お話を聞かせて頂きたいと思いました。
実際に、プレーを始めて見せて頂いたのは三条パール金属スタジアムでした。野球イベントの途中で、エキシビジョンのような形でのシートノック。自分が想像していた以上の衝撃でした。目で見て、すぐに障害があるとわかる選手。外からの見た目ではあまりわからない選手。「片手が動かない」「走ることができない」という選手には、目が行きます。それでも選手のみなさんは、全く「ハンデ」など感じさせません。片手が動かなければ、グローブを脇に抱えてプレーをします。走ることが出来なくても、ピッチャーやキャッチャーは出来ます。一人一人の選手が、出来ることをしっかりとする。出来ないことは、支えあう。選手のみなさんがイキイキとプレーしている姿に目を奪われました。
あれから数年。今年の4月。その後の選手達の状況も気になり取材を依頼しました。コロナ禍でもあり、シーズンのスタートは遅めだったようですが、午後からのはずのチーム練習も、午前には自主練に来る選手が沢山いるほどの「やる気」で満ち溢れていました。
中沢監督、五十嵐顧問は「本当に選手達は野球が好きなんだよね。僕たちの方が疲れちゃうよ」と笑顔で話します。チーム総部は2011年。10年もの間、チームを支えてきた監督が「彼らに優勝をさせてやりたいんですよ」という言葉には強い想いも感じました。
今回は、取材をうけてくれたのは樋口克弥選手。樋口選手は幼い頃に障害が発症。物心ついた時には「人とは違う」と自分でも感じていたと言います。ただ、それでもふさぎ込まず、もともと活発な方で、障害をもちながらも水泳や野球、様々な事に挑戦もしてきました。そんな中、シリアスに出会ったのは中学2年の時。障害を持ちながらもプレーする先輩選手達を見て「かっこいい!」と大きな衝撃をうけた樋口選手は、自身も野球をやろうと決めて今に至ります。
20歳になる樋口選手は、まだ年齢こそ若いですが、今ではチームの中でも中堅選手。「ジャパンの選手になるのが目標です! まだまだですけどね」と笑う。自分の障害もマイナスにばかり受け止めるのではなく「自分を成長させてくれるもの」だと語る樋口選手からは、数々の事を乗り越えてきた事が伺えます。そして「障害がある人でも、色々なことに挑戦して欲しいんです。僕もそうですが、そうして可能性を拡げて欲しい。一歩を踏み出す勇気がいることなんですが、この野球チームがそのきっかけになってくれたら嬉しいです」と話してくれました。
今回、2度目の取材をさせていただいて、障害者野球がまだまだ知られていないという事実は大きく感じました。プレーをしている選手たちからは、ただただ野球が好きで、楽しくて、純粋にボールを追いかけている情熱が伝わってくる。そして、自分達の存在を知ってもらう事で「可能性」や「チャレンジすることへの勇気」など、様々なことを伝えてくれているんだと感じました。
身体障害者野球Seriousさんの今後の活躍が楽しみです。新潟県内で唯一のチーム。ぜひ、皆さんにも知ってもらいたい。
〈参照〉新潟Serious