支えてくれた、ママ友達の存在

「笹山ライオンズ」のコーチになったばかりの当時のことを今回は少し書きます。どうやって、お母さんである私がコーチになれたか。ここには、ちょっとした出来事がありました。

 

 

テキスト : 頓所理加 →プロフィール

頓所理加ブログ
写真 : イメージ

 

最初は、私が笹山ライオンズのコーチになるという形でたずさわった野球でした。自分の子供に親の好きな事を無理強いしたくはなくて、野球を始めるのは自分だけと決めていました。そんな私の気持ちを理解してくれた当時の仲の良いママ友達に、子供2人を預けて自分だけ週末の笹山ライオンズの練習に行っていました。

 

最初のうちは、仲良しの友達の家に行けるので、ご機嫌だった2人。大好きなおもちゃを持って遊びに行き、帰ってくると「楽しかったよ」と報告をしてくれました。ただそれも長くは続かず、さすがに数か月間この状況が続くと子供たちも疑問に思ったようで。とうとう彼女に「ママは、どこに行ってるの?」とある日聞いたそうです。あまりにも何度も聞かれ、これ以上は無理かなと・・・彼女は、子供たちをグランドに連れてきてくれました。

 

今思えば、彼女に「ものすごい無理なお願いをしたなぁ」と笑い話です。そして、グランドに遊びに来るようになった子供たちは、気づけば笹山ライオンズのメンバーになっていました。彼女のおかげで、最終的には親子で野球をすることが出来ました。

 

そして、コーチとして長年続けてこれたのも、支えてくれた彼女の存在は大きいです。家庭との両立、野球界という男性社会の悩み事、当時よく話を聞いてもらい何度も背中を押してもらいました。理解し、支えてくれる人がいたから「お母さんでもコーチになる」という事に挑戦が出来たと今でも思っています。