野球から遠ざかる日々、そして野球に辿り着く

私は、21歳で結婚し、22歳で一人目を出産。23歳で二人目を出産しました。結婚を機に、住み慣れた埼玉を離れ新潟で新しい人生を歩むことになりました。

 

 

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頓所理加のBaseball Lifeブログ
イメージ写真 : 女子野球チーム「侍」の試合風景

 

野球を好きになり、ソフトボールに明け暮れた学生時代。そんな私が、若くしてママになる。実際、子育てはとても大変で、気づけばいつしか全く野球を観なくなっていました。プロ野球も高校野球も一切テレビで観なくなりました。「観られるのに、やれない」そんな想いにかられるのが、当時は怖かったのだと思います。良いお母さんでいる事、良い嫁でいる事。そんなことに必死でした。

 

そんなある日、里帰りで埼玉の実家に訪れている時。ふと実の母から「今のあなたはあなたらしくない!」と言われました。「大人になったら草野球でもいいから野球をやりたいと言っていたあなたはどこに行ったの?」と。「このまま子育てをしていても、いつか子離れできない親になる、自分の夢を子供のために諦めたと言い出しそうだ」と言われました。

 

慣れない土地での育児、自分なりに頑張っていたつもりだった時期に、母からのこの言葉は本当にショックで、その場で喧嘩となりすぐに新潟に戻ってきました。しかし、冷静に考えると母の言葉は的確で。どこか当たっていたから頭にくる自分がいたのだと気が付きました。

 

私がやりたかったこと、夢について自身と向き合うようになりました。「そうだ、夢だったことは、叶えながら母親でいよう!」この瞬間に、野球をやることを決め、周りに野球がしたいと話すようになりました。

 

上の子が小学生にあがるタイミングで、私は少年野球チームのコーチとなることが出来ました。本当は、草野球でもいいから選手になりたかったのですが、当時なかなかチームは見つからず、そんな時ソフトボールの経験をかわれて指導者にと声をかけてもらえました。選手とコーチの違いはあれど夢にまで見た「野球」です!迷いましたが、引き受ける事にしました。

 

ソフトと野球の違いもあるので、野球の指導書を買い読み始めました。野球の白い練習着を着るだけでも興奮したのを覚えています。小さな白球を握りしめ、野球の指導に行ける週末が本当に待ち遠しくて。気づけば、家事も育児も今まで以上に楽しくなっていました。

 

大切な気持ちを抑え込んでいた時よりも、忙しくても充実している日々。野球とのスタートラインは、自分自身の人生を歩むスタートラインにもなりました。