私がこのブログを始めて約4年。取材に行く際いつもサポートしてくださっている頓所理加さん。頓所さんも野球を愛し、魅力を発信しています。
そんな頓所さんの「野球に対する熱い想い」を沢山の方に届たいという気持ちから、今回取材させていただきました。
頓所さんは地元埼玉県から結婚を機に新潟県へ来て27年。新潟で野球に携わって今年で20年になります。
2ヶ月に渡って記事を書いていこうと思います。10月は「頓所さんと野球について」をテーマに。11月は「頓所さんと女子野球普及について」をテーマに書いていきます。
NGT48 真下華穂 →プロフィール
頓所さんの野球との出会いは小学校4年生の時。テレビで流れていた甲子園で、キャッチャーがファールボールに滑り込みながらボールをキャッチした瞬間「これをやりたい!」と思ったそうです。でも、当時は女の子で野球をやっている子がいませんでした…。そこで出会ったのがソフトボール。高校3年生まで続けました。
“大人になったら絶対野球をする!”と決めていたけれど、結局一度も野球ボールを触ったことがないまま、結婚が決まり新潟へ。新しい土地での生活をスタートさせ、子育てを始めました。
子どもたちがすごく可愛くて、お嫁さん業と子育てに全力で没頭していた当時。実の母から「大人になったら野球をする、と周りの人に宣言していたのに、野球の“や”の字も言わないで子育てをしているのはあなたらしくない」と直接言われたそうです。胸に、ズキンと突き刺さりました。自分自身では子育てに必死で全く気付かなかったけれど、確かに自分の夢(=野球をするということ)を諦めてしまっているのかもしれないと、その時気がついたそうです。そして、このままだと「子育てで忙しくて…」と言い訳をしてしまう。それは嫌だと感じた頓所さんは、自分の夢と人生の両立を目指したいと思うようになりました。
そして28歳の春、仕事と家庭と野球のバランスを保ちながら少年野球チーム「笹山ライオンズ」のコーチとして野球に携わることになりました。これが、やっと野球のスタートラインに立った瞬間です。
最初は少年野球を1から知って、ボールの握り方など全て勉強しました。でも途中で自分の役割は技術的なことを教えることよりも、「今のプレー良かったね!」と選手たちのモチベーションを上げる声かけなのではないかと気づき、試合に出る子出られない子に関係なく、声かけをしていたそうです。一生懸命野球をする選手たちがかわいくて、更に、自分の子どもも野球を始めたことにより、ますますやりがいも大きくなり。気がついたら14年コーチをしていた頓所さん。仕事と野球で365日休みがなかったと笑います。
そして、一生懸命コーチをしすぎて「自分自身が野球をしたかった」ということをすっかり忘れていた頓所さんは、40歳になるタイミングでそのことを思い出し「やっぱり野球をやろう!」と決意。そこで周りの仲間と作ったのが『ヒロインズ』。野球をしたい大人の女性が集まるためのチームです。やっと選手としての一歩を踏み出す時がきました。
「子供のころからずっと野球がしたかった・・・」40歳になり、選手として初めて触った野球ボール。キャッチャーの防具をつけて構えた瞬間、誰にも気づかれていないけれど涙が流れたそうです。そして、あれから何年もたった今でも、あの日見た「キャッチャーマスク越しのグラウンドの景色」を鮮明に覚えているそうです。
”野球ボールに触れる“。辿り着くまでに、時間がかかったとしても、やりたいことは強く思って追いかけ続ければ、いつか掴めるという勇気をもらいました。
そして、私のこれまでとも重なりました。私自身の“やりたいこと”としてアイドル活動を夢見て、奇跡的に叶えられたことも、強く“アイドルがしたい“と願ったからだと、アイドルになりたての頃の気持ちを思い出しました。
夢を持つこと、強く願うことの素晴らしさを改めて感じました。もちろん、夢を追いかけるのは簡単なことではありませんが、それでも諦めなければ道は開ける。
このブログを読んだ夢を持つ方への勇気に繋がりますように✨